玉ねぎの皮でお茶?!効能は?!

ご覧頂き、ありがとうございます。

職人・りき・です。

建築、建設現場でブロック積み等を仕事にしている、職人です。

その日はお弁当がなかったので現場が変わる移動中に某牛丼屋さんで昼食を摂ると決めて入りました。

出してもらった牛丼を半分くらい食べた時、背後からポンと僕の肩を叩く手が。「りき、久しぶり」そう言うと以前より少しふっくらとした顔でニコリとしてみせる友がいました。

15年ぶりに再会した友は10キロ太ったと言う体をユサリとさせながら僕の隣に座って、その横には会社の部下だという小柄な男の子がひとり。注文をしてすぐに出てきた牛丼を食べながら「ほら、りきが仲良くしてくれとった俺の従兄弟な、この前亡くなってな、りきも一度やっとるよな、クモ膜下出血でさ、病院へ運ばれた時にはほとんど手遅れだったそうや。務めとった会社が傾いてな、転職した先で息子程の年の上司に気にいられて、小さな仕事をまかしてもらっとると言うて喜んどったんやけどな。仕事中に頭が痛いとは言うとったらしいが、責任感が裏目に出てしもうたってヤツやな」

この友と友の従兄弟とは若い頃よく一緒にお酒を飲みながら仕事に対する考え方等を語りあったものでした。三人とも仕事は違えど共感しあえる感覚が一緒にいる時間を楽しくさせました。「りきちゃん、今度俺にもトレーニング教えてよ!」実現する事は有りませんでしたが、笑うと何処へ行ってしまったんだと思う程細くなるカワイイ目が思い出されてなりません。

「じゃあ又な。それ以上太るなよ」耳の痛い一言を残して、牛丼屋さんを後にして次の現場に向かう途中、身の回りにいる50代の人達の顔が脳裏をかすめました。

仕事関係で仲良くしてもらっている人達。中学の同窓会で会う気のいい仲間たち。( 同窓会はナント1年に2回あって新年会とお盆ぐらいに1回、みんなとても仲が良く、まさにお酒の飲める中学生 ( 笑 ) の集まりです。

今年はコロナの影響で残念です。

( この病気、50代、60代がスポットだったよな。)書かないと後から後悔はせんか?想いが先立ちます。

仕事に追われ激務をこなす毎日に体力、精神的にも疲れきっていました。その日は少し後回しにしてもいい仕事に甘え、昼下がりに終えて車で帰る途中で、ふとトレーニングがしたくなりました。疲れているのに。お世話になっていたジムに立ち寄りしばしの間バーベルと戯れます。

仕事とはまた違う一汗をかくのが目的なので、軽めの重量で淡々と全身を一種目ずつこなしていきます。背中の部分が終わり上腕二頭筋 ( 力こぶと呼ばれている部分です ) のトレーニングをするのにバーベルを持った瞬間、頭の中でツーーーンと言う音が聞こえてきました。ガシャンと音を立ててバーベルが落ちます。そのツーンが終わると今度はドックンドックンと頭の中で大きく脈が打ちだして直ぐにズキンズキンと小刻みに痛みだしました。顔色がだんだん冷たい色に変わっていくのが分かります。

違う一汗が冷や汗になるとは、などと考える余裕はなく、ジムには営業時間前に無理を言って入れてもらって、この時一人だけだったので二階に居るオーナーに直通の電話をかけ、救急車を呼んで欲しいとお願いしました。( お世話になっていたジムは一階がトレーニングルーム、二階がご自宅となっていました ) 

ご夫婦で急ぎ足で二階から駆け下りて頂くとオーナーが僕の冷たい顔を見るなり目をキラリとさせ「どんな症状?」僕は「頭が鉄棒で叩かれているように痛い・・・命の危険を感じます」長年お付き合いをして頂いて、同じ空間で共に汗を流し合う間柄に、多くの会話は要りません。

人生の先輩でもあるオーナーは機械工学とその技術に優れた人物で、ジムに置いて有るバーベル、ダンベル各種トレーニングマシンの全てはご自身で設計、製作された物でした。ボディビルダーが作った器具です。シルバーのメッキも美しく、もちろん使いやすさもバツグンです。機械屋さんらしく頭も大変良く、お話させて頂く度にその頭の回転の速さに圧倒されたものでした。

「救急車だと遅い。送って行くから」と言って下さり、車に乗せて頂いて病院に着く間、僕の意識が飛ばないように話しかけてくれていましたが車が走っている間の記憶が有りません。ただ、ズキンズキンと小刻みだった痛みはより激しくなり鉄の棒でゴン!ゴン!と思い切り叩かれている感じで、とにかく病院に着くまで意識を失わないようにと耐えていました。着いたのは脳神経外科の権威でもある四日市市立病院。車から降りると、ほとんど自分では立てない僕をオーナーが支えてくれて、車椅子をお願いしてくれました。

座っている僕にオーナーがその力強い目を僕の顔に向けると・・大丈夫だ・・・と目で言います。こう言う時どんな言葉も、いたずらな気休めにしかならない事を、できる大人は知っています。

CTで検査を受けると看護師さんが「すぐに手術になりますよ」そのあと直ぐに、大丈夫ですよ!と声を掛けてくださったが、正直なところそれどころでは無く ( 頭だけはダメやな。人生半ばで終わりか ) 2人の息子と生まれたばかりの愛娘、カミさんの顔がハッキリと目に浮かびます。

今でも思い出すのは、人というのは死を目の前にした時、もっとジタバタとみっともない姿になるものと思っていましたが、この時驚く程冷静でした。17歳の時、母親が46歳と言う若さで亡くなった時、皆様に感謝の気持ちだけを残して静かに目を閉じました。小学生の頃、チョットした悪さを隠そうとした僕に「男の子はな、潔さが一番大事や!どんな時でもジタバタするんやない。大きな素直に物が入るんや」昭和一桁の女、らしい教育で育ったせいか。

すぐにストレッチャーと呼ばれる移動できるベッドに寝て集中治療室へ入る前、家族と会えました。

先程して頂いた処置で少し楽になって言葉もたどたどしく話せたので三人の子供達を頼む。と弱気な事を言った覚えはあるんですが、この時の記憶を吹き飛ばす程の力強い言葉をカミさんはくれました。「死ねやんよ!子ども達もまだ小さいし、借金もあるんやから!だいいち父ちゃんが死ぬ訳がないやろ!ちゃんと生きて帰ってきてください!」こらえきっている目に溜めた涙が痛々しく、にぎった手に力が入ります。子供達と手を握り合うと、まるで仕事に出かける時と同じように、「じゃあ、行って (来る) 」と言った覚えがあります。

約15時間後、目を覚ますとカミさんの顔がそこにありました。

・・・生かして・・もらえた・・・

「お帰り」そう言うと止まらない涙が顔を覆いました。

恐々、気になった事を口に出します。後遺症は?この時点ではたぶん大丈夫だと言われたらしいです。

整体の一般医学での勉強で脳卒中、くも膜下出血にかかった人が社会復帰できるのは約30%の人だけ。と書いてあるのを本で読んだ記憶がありました。

たくさんの人達に助けて頂いた命です。前向きに考えたい所ですが、しばらくはそうはいきません。水と血を抜くホースが2本頭に刺さっている状態で身動きができないのです。

ごほんと言う咳払いができません。頭に激痛がはしるからです。喉から出る咳払いは、おしぼりを細長く丸めたのを口に入れてもらってやっと ( んんん!)とやります。

毎日3度の点滴注射を続けて何日かたったある日、肝臓の数値が少し上がってきたので点滴の量を増やして正常に戻します。と言われ確かその日の午後だったと思いますが、両腕と両足首で4本の点滴スタンドが立たされ、いつも ( ありがとう ) と声をかける点滴パックも4つが吊るされ、ジーっと見て・・いいのか・・おれ・・ナンテつぶやいたりして ( 笑 )

それまでに2度入院の経験は有りましたが、この時はなんせ、仰向けになった状態がズー〜っと続きます。

紙おむつをはめたのも初めてでしたし、床ずれがヒドかったですね。腰、背中がとにかく痛かったです。

それと毎日一回ずつ衛生を保つため、お姐さんが来て体を拭いてくれるのですが、その手際のよさはプロの仕事です。最初の間はそんな事を思う余裕も有りませんでしたが、丸裸にされるので、少し慣れてくると恥ずかしいなぁ・・・ナンテ (笑)でも、その時だけは横向きにしてもらったりして少しだけ動けたので、背中も楽になれたし、体を拭いてもらって気持ちいいし、オアシスの時間でした。

それと二週間ぐらいじっと寝ているとお肌がツルッツルになったんですね。工事現場で働く職人の手や足の皮は仕事の特性上どうしても厚くてタコの部分も多かったりするんですが、それがサラッと取れてまるで赤ちゃんの肌みたい ( 笑 ) になりました。

二週間程たった頃だったと思いますがようやく頭からホースを抜いてもらって、それからもう暫くたったある日、やっと個室から大部屋に移してもらえました。やはり人がいる雰囲気と言うのはいいものです。その日はたくさんの人がお見舞いに来てくださり、少し疲れて部屋に帰ってボーっとしていたら ( お見舞いのお客様は部屋には入れず少し歩いた所にある休憩室で面会しました )

突然、市立病院の院長先生が入ってこられ ( この時3回目の会面 ) ベッドに座っている僕の隣りにドカッと並んで座ると僕の肩を抱いて「もおう、大丈夫だ!命があるんだ!第二の人生だよ!あせらずに頑張っていこう」そう言うと僕の肩をだく手にグッと力をいれました。

( 命があるんだ ) グサリと刺さりました。改めて事の重大さが意識の中に蘇ります。大事に、大事に生きていこうと決意したのを思い出します。

その後、一か月を待たずに退院する事ができました。

発症・36歳 5月 29日

後日、早めの処置ができたのと、とにかく体力がある人だから少々おもいきった治療ができたと医師が言ってくれました。

手術室に入る前すれ違った医師の一人が少し大きな声で「なに、この人!プロレスラー!?」僕の胸の筋肉の盛り上がりが、かけてもらっていたシーツ上からでも分かったそうです。主治医が急な手術が入った為その時叫んだ医師が僕のカウンセリングをかって出てくれたのです。 ( その体、親に感謝して ) と言われたのが心に残っています。

この病気は発症してから時間が経つほど死に近くなります。放っておけば確実に死に至ります。僕の場合は医師が言われた様に早い処置をして頂けたのと、ジムのオーナーさんが迅速な対応をしてくださったのが良かったのです。おかげさまで後遺症も無く、今でも元気で頑張れています。

ジムのオーナー様、奥様、院長先生、担当してくださった主治医様、サポートしてくれた先生方、いつも優しく看護して頂いた看護師の皆様、体を綺麗に拭いてくださった職員のお姐さん。お見舞いに来てくださった皆様。

その節は大変お世話になりました。

本当にありがとうございました。

20年も以前の事で、しかも事態が事態です。記憶も曖昧な所もあり、表現に困る所もありました。わかりづらい文面は下手な文章と合わせてどうかご容赦ください。

・・脳卒中・くも膜下出血・・

何度でも言います。大事に至る恐ろしい病気です。

約9割の割合で脳動脈瘤 が破裂をして発症します。

年間で14000人の人がこの病気で亡くなっています。

男女でなる確率は女性が男性の2倍にも達するらしくその理由はまだ不明なのだそうです。

好発年齢は丁度僕達世代ですね。50代、60代で発症する人が最も多いとされていますが、若い人も発症します。僕が36歳で発症したのはかなり若い間に発症した症例といえます。

動脈瘤の破裂の最大危険因子は高血圧と遺伝に寄るものとされています。僕の場合、血圧を指摘された事は一度もありませんが遠い記憶をたどると、小学生になったばかりの頃だったと思いますが、父親の妹さん ( 僕の叔母ですね ) が亡くなってお葬式に行った時に ( 脳溢血 ) と言う言葉をよく聞きました。間違いがなければ身内に脳の病気で亡くなった人がいる事になります。

発症すると半数以上の人が死亡あるいは高度後遺障害となり、社会復帰ができるのは三割程度だそうです。( これは現在の情報です )

・このような症状が出たら脳卒中、くも膜下出血を疑い迷わず病院へ急いで下さい。

・ろれつが回らず上手く話せない。

・突然吐き気がする。

・突然意識を失って倒れる。

・片方の手か足がしびれる。

・片方の目が見えにくい状態になる

・片方に物があるのに気づかずぶつ

 かってしまう。

・物が二重に見える。

・目の前がはっきりと見えずまっす

 ぐに歩けない。( めまい )

・手や脚に力が入らず、持っている

 物を落とす。

・突然の激しい頭痛  等です。

僕の場合で言えば最後の二つですね。持っている物を落とす。と突然の激しい頭痛、です。

最初のツーーーンと言う音が頭の奥から聞こえてきた時に ( これは、ただ事じゃない ) と思えました。次に起きる頭痛で確信しました。僕は二日酔いでも頭が痛くなった事がなく、生まれて初めての体験だったのです。頻繁に頭痛が起きる人も痛みの強弱は有るのでしょうが、あれ程の痛みとは到底闘えないと思えました。まさに死を覚悟する痛みでした。普通に頭痛の起きる人は、初期症状の時なら、又始まったか、とやり過ごしてしまわないか心配です。

・こう言う人は本当に要注意です。

・高血圧の人。

・血縁者に脳卒中、くも膜下出血の

 発症者がいる。

・塩分の多い食事が多い。

・お酒の量が多い。

・喫煙をしている。  等です。

発症してから大事に至るまでの時間が非常に短い病気です。・・でも・

もし発症してしまっても、慌てずに回りにいる人に助けを求めて下さい。その時回りに人がいない時には今はたいがいは携帯電話を持っていますから自分で救急車を呼ぶのもいいと思いますが、その時は ( 命の危険を感じます ) と言えば少し早い対応をして貰えるかもしれません。

動ける状態でしたら近くのお家やお店に駆け込んで助けを求めて下さい

日常から不安を持っている方は、お一人でいる環境をつくらずに常に仕事仲間や、お友達と一緒に行動を取れるようにしておくと良いです。

その時の責任感は・・・いいんじゃないかと思うんです。まずは命を守りましょうよ、と言いたいです。

病院に行ってただの頭痛 ( これだけでもかなり辛いとおもいますが ) だったらそれにこした事はないです。危険を感じたらまずは病院に行って下さい。

そして何より予防です。動脈瘤があるか無いかは前持ってわかるそうです。他の頭の病気も検査を受ける事で予防ができると言われています。

是非今、不安を感じる方はもちろん、健常な方も検査を受けて下さい。

・参考までに脳の病気をいくつか・

・くも膜下出血

・脳動脈瘤

・脳卒中

・脳梗塞

・脳腫瘍

・慢性硬膜外血腫

・急性硬膜下血腫

・偏頭痛     等です。

何がどうなって、こんな事になってしまうのか?さわりの勉強だけでもした後に我々ができる事は日常での取り組みしか有りません。あたり前だと言われそうですが、人の体はおおよそ食べる物で作られています。どうせ食べるのなら、体に良い物を美味しく頂きたいものですね。

まずは体の中を流れている血液サラサラ大作戦と言うのはどうでしょう。

・玉ねぎパワー・

我々のまわりに有る最もポピュラーなお野菜のひとつです。この前近所のスーパーに行ったら、バラ売りで一個56円で売られていました。今年は天候の影響でお野菜の値段が高いと言われますが、それでもこの金額でこれ程の恩恵を受けていいのかと思う程のパワーです。

・・・種類・・

黄玉ねぎ、白玉ねぎ、紫玉ねぎ

新玉ねぎ、大まかでこんな感じで一番良く目にするのが、黄玉ねぎで秋頃に出回る物が良いとされています。玉ねぎって日本では明治時代から栽培されているんですね。いまではアメリカに次いで世界で2番目に多く栽培されているそうです。国内では、北海道が全体の6割を占め兵庫県、佐賀県、愛知県と続きます。

・・・選び方・・・

・ずっしりと重みのあるもの

・首と根の部分が見た目しっかりと

 したもの

・茶色の皮が乾燥していてツヤがあ

 るもの

・・・保存の仕方・・・

・玉ねぎは湿気を嫌うので風通しの 良い所に吊るしておくのが良いそ うです。ネット等を使うと便利か も。農家のお宅に伺うとよく吊る してあるのは、そう言う事だった んですね。

・新玉ねぎは収穫してすぐに出荷されるので日持ちがせず、買ってか ら2、3日で食べてしまうのがいいそうです。生食に向いているのでサラダにしてみてはどうでしょう

 高い温度に弱いので夏は涼しい所で保存して下さい。

 黄玉ねぎは数ヶ月、新玉ねぎは 一週間程持つそうです。

・・・ケルセチン・・・

・ポルフェノールの一種であるフラボノイドに分類されます。 皮の部分に多く含まれる黄色の色素成分です。

 ポルフェノールは抗酸化作用が強い成分ですがケルセチンはその中 でも特に強い抗酸化力を持ちます。

 ケルセチンは日光のストレスから身を守るために作られる成分で、日光をよく浴びた玉ねぎ程多く含まれます。

 秋に収穫される玉ねぎは紫外線の多い夏に成長する為ケルセチンが多く、春に出回る玉ねぎの二倍程多く含まれているそうです。

 天日干しでもいいらしく一週間程日光にあてると四倍も増えると言う事です。秋に出回る玉ねぎ、みのがせませんね。

 油との相性もよく、熱にも強いので調理にも向いています。

 抗酸化作用で活性酸素を撃退します。

 2017年に大腸癌の細胞を減少させる事が明らかにされたそうです。

 動脈硬化、糖尿病、抗がん作用、抗炎症作用の予防、改善の効果が期待できるそうです。

 又、茶色の皮の部分に多く含まれるので、よく洗って乾かした皮を煎じてお茶にして飲むと高血圧にも効果を発揮するそうです。 さらにアンチエイジングの効果も あると言いますから嬉しいですね。

・・・硫化アリル・・・

・玉ねぎを切った時目にしみて痛くなるのはこの成分です。

 血液が固まるのを止める働きがあ るため、凄い仕事内容です。

・血栓予防

・動脈硬化予防

・インスリン分泌の促進

・血中コレステロールの正常化

・免疫機能の向上

・抗がん作用

・・・アリシン・・・

・硫化アリルの一種

・殺菌作用と抗酸化作用があり風邪や食中毒の予防や抗がん作用が期待できると言う事です。

 血流を改善する効果がある為、血液を ( サラサラ )にして血栓ができるのを予防します。

・・・カリウム・・・

・体内の水分調節をします。

 塩分の取りすぎによって余分にたまった水分を排出したり血圧を調整したりします。

 むくみの予防、改善をします。

 水に溶けやすいので茹で汁ごと頂けるお料理がいいですね。

他には食物繊維、マグネシウム、カルシウム、葉酸、ビタミンC、リン等たくさんの成分が詰まっています。

玉ねぎはビタミンB1と結合しやすく吸収を助ける働きもあると言う事です。玉ねぎにも含まれますがビタミンB1が多く含まれている豚肉と一緒に摂ると吸収がいいとされています。

とにかく凄いです。ただ、これだけの栄養があるんだから、たくさん食べれば良いかと言うとそうでも無く生で食べる場合は成人では一日に一個の4分の1、子どもならその半分が適量だそうです。尚、加熱する場合はその2、3倍は大丈夫だそうです。

カレーライス、シチュー、肉じゃが、中華料理なら酢豚やチャーハン等には必ず入っていますよね、普段何気なしに口にしていますが、これからは、素晴らしい効能を思い出しながら、( 今、ムッチャ体にいい物食べてるぅ ) なんて思いながら食べると食事が一層美味しくなるかも。

血液サッラサラにして、そうです

・・・・やっぱり・・・・

頑張ろうぜ!50代・・・です。

ありがとうございました。

ごめん下さい。

ps  もし、牛丼屋さんで友と再会していなかったら、従兄弟さんの死因を耳に入れる事がなかったら、僕はこのテーマの文章を書かないでいたか、ずっとずっと先送りにしていたと思います。

ブログの文章を書き始めて今回程切実な気持ちになったのは初めてでした。頭の中でドクンドクンと脈をうつ下りを書く時には「あっ、俺・・・死ぬかも」と思ったのを思い出し背筋に冷たい汗が出るような気持ちになりました。

今回は概ね、これから気をつけてほしい人に向けて呼びかける感じの文章となりました。

( 体験者は語る )的な書き方になりましたが、こんな時はこうしたらどうかと私的な思いも含めて書かせて頂きました。

病気のお話ですが、なるべく黒く暗い雰囲気にならないようにも努めたつもりです。

日常で不安を抱えている人に、さらなる不安因子を誘わないように、その対策も書かせて頂きました。

後遺症と闘いながらも懸命に頑張っていらっしゃる沢山の方がいる事を僕は知っています。

大切なご親族を亡くされ大きな失意と闘っている方が沢山いる事も知っています。

もし、この文章を読んでご気分を悪くされた方が御座いましたらどうか御容赦下さい。

小難しい事はあまり考えずにいますが、生きているんじゃない。生かされているんだ。という気持ちで日々を送っています。

( 命があるんだ !) 僕にとっては忘れてはならない言葉です。